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こういう不便が多々ある代りに、むかしの温泉宿は病を養うに足るような、安らかな暢のびやかな気分に富んでいた。今の温泉宿は万事が便利である代りに、なんとなくがさついて落着きのない、一夜どまりの旅館式になってしまった。一利一害、まことに已やむを得ないのであろう。
「開業日はいつかの」
だが、やつぱり戻らないで、しきりとこつちを見ながら行く。
「失礼ですが、もしか、あなたは高間さんではありませんか」
「何だらう、山師を煽おだてて又一儲けしようてんだらう」
「――?」
鍵屋の隠居神原直造は老来なほ矍鑠と云つた様子だつた。
たとい健康の人間でも、往復の長い時間をかんがえると、一泊や二泊で引揚げて来ては、わざわざ行った甲斐かいがないということにもなるから、少くも四、五日や一週間は滞在するのが普通であった。
房一は苦笑した。とにかく珍客にはちがひなかつた。そして、たつた今さつきまで房一は彼等のお見舞ひでわれ知らず興奮し、緊張し、それからあの半シャツの男と言葉の上でなく、眼と眼で、構へと構へでやりとりした、それが突風の去つた後のやうな軽いあつけなさを残していた。
見たことのない顔だつた。患者なら玄関から来る筈だ。
「これからどちらへ?」
「へえ。ちよつとばかし――」
「おれは!――」